Get Over 2




「蓮二、三日後だ」

合宿の始まる日。三日後。真田はバスの中で、そう言った。

「そうか、がんばってこいよ」

それだけ。会話はそれしか続かなかった。

それ以上の会話をすれば、多分柳の方が引き止めてしまう。


本当は辛い。一週間位、待っていられる。

でも、不安。隣にいないということが不安だった。


だが、真田の将来を思うと、もっと強くなって欲しい。

もっと遠くに世界にいつか、羽ばたいて欲しいと思う。

そんな彼を見たいとも思う。それによって、離れていくことが、怖かった。

いつかは離れることがくる。いつまでも真田の隣にいるとは限らない。

まだ、側にいたい。まだ、このままでいたい。その気持ちが今は強かった。


「蓮二?」

我に返ると真田が柳の顔を覗き込んでいた。


「すまない。もう、着いたのか?」

真田は心配そうに柳を見ている。

「次で着く。それより、大丈夫か、蓮二? 顔色悪いぞ」

そんなに顔色が悪いのか。柳はバスの窓ガラスに映った自分の顔を見てみる。

確かにそんな顔をしている気がする。


「弦一郎、大丈夫だ、心配ない…」

真田は柳を気遣いながら、バスを降りて、学校へと歩いた。

少し、ゆっくりめに歩き、普段なら数十分で着く学校が倍ほどかかった。


その間も二人には会話がなかった。

部室に着くと、真田は柳はどこからか持ち出してきた椅子に座らせようとした。

「本当に大丈夫か、蓮二?」

柳はため息を一つ吐くと、真田に静かに微笑み返した。


「…弦一郎…」

柳は小さくつぶやく様に真田の名を呼ぶと、そのまま静かに抱きついた。

「蓮二?」

「すまないが…しばらくこのままで居させてくれ…」

真田は柳の気持ちを察したのか、優しく抱きしめ返した。二人に永遠の時間が流れた。




ピピピピッ

目覚まし時計が静かに部屋の駆け巡る。

「ん…」

目覚ましを止めると、柳はそっと起き上がった。

そして、毎日の日課である布団をたたむ。昨夜は眠れなかった。


今日は何と言っても、真田が合宿に行く当日だから。

幸村の見舞いに行ったときに彼が漏らした言葉の意味がまだ解らない不安と、

真田が柳のそばを離れるということが、柳を寝付かせてはくれなかった。


運がいいのか、真田の出発時間と、いつもの朝練の時間がほとんど変わらない。

少しでも一緒にいたい。だから、例え数十分でもうれしい。

でも、その反面、会いたくないという気持ちが大きかった。

今日という日が近づくたびに、柳の中に生まれるマイナスの感情。


それを抑える日々。

身支度をして、朝食をとる。そしていつもと同じ時間に出る。

家から遠くない最寄の駅でいつもと同じ変わらない電車に乗る。

隣の駅で乗ってくる真田を迎える。

「おはよう、蓮二」

真田が柳を見つけると、声をかける。

「おはよう、弦一郎」

柳は微かに笑みをこぼして、そう返事をした。

普段から、会話の少ない二人。

沈黙なんて全然平気だった。

でも、今日は今日だけはその沈黙に柳は耐え切れなかった。

「頑張ってこいよ」

柳の口から、出た一言。本当の気持ち、だった。紛れもない。


――行くな――


心が、そう、叫んでいた。手が、彼の腕を掴みそうになる。

「蓮二、無理はするな。何かあったら、連絡をくれ」

真田の暖かい手が柳の肩に触れる。

「弦一郎、一週間後、迎えに行く」

柳の言葉に真田は笑みをこぼして、うなずいた。

そして、二人は別れた。



――三日前――

幸村の見舞いに行った後、部室で柳はたまらずに真田に抱きついた。

『強いな、弦一郎は…』

抱きしめながら、柳はポツリとつぶやく。

真田はただ、優しく抱きしめてくれた。


『たかが一週間のことなのに…』

一週間分を抱きしめるように柳は強く抱きしめた。

『…蓮二…』


真田はそんな柳の気持ちを悟っているのか、柳の顔に手を添えると、そっと唇を重ねた。

ただ、触れるだけそれでもそこにはらぎと温もりがあった。


『夜には必ず電話をする』


――お前が安心するなら何度でも――


真田は柳の耳元でそっと、そうささやいた。

柳は笑みを浮かべると、あぁ。とうなずいた。


『部のことは任せておけ』

二人は、着替えをして、コートへと向かった。



駅を降りた柳は学校まで歩く。今日から一週間、真田はいない。

昨日のうちに預かった部室の鍵もしっかりと柳の懐にある。


『しっかりしろ』

柳は自分自身叱咤した。

「柳くん、おはようございます」

後方から、柳生が声をかけてきた。

「あぁ、おはよう」

朝に柳生に会うのはめずらしくない。

普段から、柳と真田の二人の後に部室にくる。


しかし、電車は二人が乗るのと同じ。

以前はホームで見かけたものだが、最近は彼なりに気を遣ってくれている。そう、思った。


「柳くん、今日の練習メニューのことですが…

柳生は歩きながら、昨日渡された全員の練習メニューを見せた。

所々、訂正されている。


練習メニューは個人ごと違う。

それを決めているのは顧問とのやり取りを兼ねて、部長と副部長の役目だった。

現在は部長の幸村が入院中のため、必然的に真田と顧問だけで決めている。

「実は少し、私なりに考えまして…


柳はその紙に見入る。

かなり、細かく文字が記入されているその紙は元の原型がないほど。


ここが、こうなるわけか…

もともと、いつもの練習メニューも細かく書かれ、完璧に近い代物だった。

それでも真田はよくない、と言っていたが。柳生の案も真田と対して変わらない。


ただ、付け加えなどがあったりするだけで、大まかなことはあまり変化はなかった。

「うむ、こんな感じではどうだ?」


と、柳。

「そうですね、ここをこうするのはどうです?」

と、柳生。

いつしか、二人は歩きながら、紙面の上でやり取りを始めていた。

そうしているうちに、学校に着いていた。

柳は部室へ、柳生は先程のメニューを顧問に知らせに行った。

柳は自分のロッカーを開けると、着替え始める。


――もっと強く――――

真田と対等に対戦出来るほどに、強くなりたい。

一週間の差は大きい。

ただ、隣にいたい。真田の後ろではなく、隣に――

柳は自分のラケットを強く握り締めた。

「柳先輩、おはようございまっス」


部室全体が後輩の声で包まれる。


赤也、おはよう――
――


そう、言おうとした時、柳の脳裏に幸村の言葉が過ぎった。


――赤也に気をつけるんだ――

――
未だに理解できない言葉。なぜ、今になって、そういう事を言うのか。


「先輩?」

赤也が固まっている柳を心配して近づく。

「あぁ、おはよう、赤也」

少し、表情の硬い柳は無理して笑顔を作る。

「そういえば、今日からっスね。真田副部長」


赤也は着替えながら、話をしてくる。

柳はボードに出欠を記入しつつも、赤也と無意識的に距離を置いた。


――赤也には
気をつけるんだ――――


柳の頭の片隅に、幸村の言葉だけが異様に強く回っていた。





つづく